序文とあとがきの人のブログ

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有名人の考え事

人には人の苦痛がある. 人の苦痛とは感情的な物であり, 端的に言えば「生き続ける苦しみ」以上に表現できないことがある. 戦争体験者が自身の体験を語ろうとしないのはそれを思い出すのが彼ら彼女らにとってそれこそ苦痛であるから, というのもひとつの原因だろうし, 苦痛というのは実際に体感しないとわからない部分が非常に大きい.

苦痛を語らないことは苦痛を体験していないことではないのだ. その人にしかわからない, その人だけの苦痛がある. 語るための言葉も, 語ったとて聞いてくれる人がないこともある. 語っていないことは苦痛ではないことではないのだ. 人生とは怒りと悲しみの積分である. その積分値の許容限界は人によって違う.

下手に抽象的に自身の苦痛を語ると根性論を叩きつけられることもあろう. しかしあまりに具体的すぎると今の時代にとってはかなり危険である. その塩梅が難しい.

私には重度の発達障害と小学生時代から積分してきたトラウマと怒りと悲しみがある. とにかく行動して失敗しなければ学ぶことができない. やらなかった失敗よりやった失敗のほうがまだマシなので失敗を重ねてきた.

とある人が有名になると, その人のSNSアカウントの発言がその人の公式見解でありその人が語らないことはその人の感情でも論理でもないかのように思われることもあろう. しかしそれは違う. その人の発言はその人を物質に例えると発言は原子ひとつにも満たないことがある. その人がその人の苦痛を語ればそれは苦痛であるが, 語っていなければ苦痛でないとは限らないのだ. ひとつの事実より百のうわさが広まりやすいのは決して健全ではない. 人には人の, 言葉にしきれない苦痛や黙秘権がある. 下手にうわさを流せば名誉毀損にもなりかねない.

地に平和あれ