新訂版序文の人のブログ

画像はスマホでは拡大できます。記事の題名の下にあるタグをクリックまたはタップすると記事を細かく分類したページに移動します。最近は数学を語ることもあります。

つらくても数学がしたい

以前から語りたい数学がたくさんあったのと, リクエストを受けたから, また数学を語る.

私は数学が大好きだ. 気がついたら数学をしている. 気がついたら数学のことを考えている. 数学に疲れても数学は語っている. 数学へのこだわりが発達障害由来なのか感性由来なのか悩んだこともあるが, とにかく数学が大好きだ.

私は小さい頃から論理的に考える癖があった. なので, 中学2年生の時に, 初歩や基礎が論理的にあいまいなまま問題を解いてばかりの, 学校の教科としての数学に疑問を持った. 初歩や基礎が論理的にしっかりした学問があるはずだ, それが数学のはずだ, と中3の数学も知らなかった私は中学の図書室に行った. そしたら数学の本が何冊もあり, 問題を解くことに終始するのではなく, 基礎を語る姿を見て,

 

惚れた.

 

確かに中学2年生の段階でも, 文字式の抽象性ゆえの汎用性や, 連立二元一次代数方程式には未知数が2つあるのに方程式が2つあれば解が定まることに感動していた(無数に解があったり解が存在しない例は後に高校数学にあった行列で知ることになる). そんな自分が知らない世界を見て, もっと知りたくなった. 

まずは円周率の暗記, 式の展開と因数分解, 簡単な微分積分から始めた. 結局円周率の暗記は話のネタにしかならなかったが, 楽しかった.

中学2年生の秋には小さな発見(https://pdem.hatenadiary.com/entry/2021/10/07/205705)があった. 私が数学人生を歩む最初のきっかけだったかもしれない.

その後, 三角関数の加法定理

sin(α+β)=sinαcosβ+cosαsinβ

cos(α+β)=cosαcosβ−sinαsinβ

の, sinとcosとαとβの入り混じった数式に感動して, 三角関数の定義より加法定理を先に覚えた. 今の数式に興奮する性格はこれが発端かもしれない.

そして, オイラーの公式とその特別な場合

e^iπ=−1

e^ix=cos(x)+i sin(x)

を知って,

 

なんだかよくわからないけどすげえ!!!

数学者になりたい!!!

 

と強く思った. それまで化学や物理学も学んでいたが, 数学に傾斜した. 高校数学や平行して学べる大学数学(微分積分複素関数)を

 

とにかく必死にやった. 理解できるかはともかく必死にやった.

 

しかし, 中3の時, 不良グループからのいじめや思い出すだけでも腹が立つほどの奴からのいじめが激化すると, 次第にうつ状態が頻発し, 時には数学もやれなくなる. それでも数学に惚れた私は, やれる時には必死に数学をやった. そんなことでは当時惚れていた女の子と同じ高校には行けないとわかっていたが, 今と同様, 精神的にしんどくてもがんばれることは数学しかなくなっていた. ちなみに結局その人には何年か前に振られた. つらい.

そんな中3の時期, 給食前にはたまに同級生に数学の話をしていたが, 或る日, 黒板に高校数学Ⅲの区分求積法の公式を書いたらクラスが騒然としたのはいい思い出である. うれしかった.

同級生たちの中では勉強はできるほうだった. しかし天才たちには及ばない. だから独自の数学で勝ろうと考えた. 今も世の中の天才たちには及ばない. だから独自の数学で勝ろうと考えている.

結局, 激化したいじめにより受験勉強には耐えきれず, というか人生に耐えきれず, 生まれて初めて

 

死にたい

 

と強く思った. しかし数学だけはしていた. 数学だけは. 学校や受験の勉強は, とある私立の推薦入試に受かる程度しかしてなかった.

そして好きな人とは別の高校に進学したが, そこでも勉強に耐えきれず, しかし数学だけは必死にしていたから友達はたくさんできた. 話しかけてくれる女子も何人かいた. しかしあまりにも大学受験に偏った非本質的な勉強に耐えきれず, 休学してしまった. 休学中も高校数学や大学数学を必死にやった. 一時期数学から離れて鉄道ファンとして(当時は本名を出さず)活動していた時期もあったが, 誹謗中傷や嫌がらせをきっかけに血を吐くほど病んだので数学に戻ってきた.

高校はそのまま留年したが, 復学後も高校については友達や仲のいい先生方以外は耐えきれず, 数学をしていた. 微分積分, 線型代数, 集合, 位相, 微分方程式, 複素関数, ルベーグ積分, と, 高校の勉強とは全く違う勉強をしていた.

 

楽しかった.

 

その後, 高校を1月8日に中退し, 現実でもインターネットでも居場所が見つからず,

 

死にたかった.

 

まあ, そう言いつつ数学はしていたが, とにかくつらかった. 恋も数学も報われず, 居場所もない人生など, 耐えきれなかった. しかし, 中学の同級生で仲良くしてくれた女子から, Twitterを使うと好きな物でつながれると聞いて, Twitterを始めた. そこで初めて, 生まれて初めて, 数学がきちんと認められた気がした. ちなみにその女子は, 彼氏ができてから, かまってくれなくなった. 寂しい.

結局死にたい気持ちは消えなかったが, Twitterで人生が変わった.

しかし, 鉄道ファンとして活動していた時代に誹謗中傷や嫌がらせをしていた者たちに自分から絡んでしまい, 以後執拗におもちゃにされた. 長かった. Amazonレビューをたくさん書き始めたのも, 当初は今のように人の役に立ちたいからではなく,

 

奴らを見返したいから

 

であった. ちなみにTwitterでは当初から本名を出していたが, それも中学で俺をいじめたり, 俺がうつ状態になったのを見て離れた中学の同級生を見返したいからであった. 結果だけ言うと見返せた気はする. 一人はどうやら改心したようだ.

インターネット上では長く名誉毀損をされたが, 20代後半から脳が疲れやすくなったが, いじめの激化と重なる失恋でメンタルを壊し続けたが,

 

数学に惚れたから

 

今も数学をしている.

ルベーグ積分を必死に学んだので引き続き実解析を, ルベーグ積分を生かして関数解析を, それを生かして偏微分方程式論を, 荒っぽい面もありながら学んで考えた. それが今のナビエ-ストークス方程式の研究に受け継がれている. また, 多様体代数系も学びつつ多変数複素解析も学び, 多変数複素解析のヘルマンダーの方法, すなわち, 多変数複素解析の諸問題を, 既知複素微分形式fと未知複素微分形式に関する偏微分方程式

∂''u=f

を解いて解決する方法に感動した(外微分dをd=∂'+∂''と分解している). これについても何かを考えたいと思っている.

今も生きるのはつらい. いじめられた過去は変えられないし, 失恋もよく思い出す. それでも

 

数学をしていたい.

ディリクレ関数f(x)がx=πで微分不可能であることの証明

f(x)をディリクレ関数(xが有理数のときf(x)=1, xが無理数のときf(x)=0)とするとき, x=πでf(x)が微分可能なら

lim_(h→0)(f(π+h)−f(π))/h

が存在する. f(x)がx=πで微分可能なら, hをどんなやり方で0に近づけても, この極限値が存在しなければならない. しかし特定の近づけ方でhを0に近づけると, この極限は存在しないことを示そう.

(f(π+h)−f(π))/h

は, πが無理数だからhが有理数ならπ+hは無理数ゆえ, f(π+h)−f(π)=0になるから,

(f(π+h)−f(π))/h=0.

hが無理数でh=k−π(kは有理数)の形をしているとき,
(f(π+h)−f(π))/h
=(f(k)−0)/(k−π)
=1/(k−π)
これはk>πかつk→πのとき∞になりk<πかつk→πのとき−∞になる. (πにいくらでも近い有理数が存在するので)

同様にして数直線の任意の点においても微分不可能であることが証明できる. それには

任意の実数a<bに対して
a<r<b
となる有理数rが存在する,

任意の実数a<bに対して
a<s<b
となる無理数sが存在する

ことを使えばよい.

一般に微分可能な関数は連続だから, f(x)は不連続ゆえ微分不可能だが, きちんと微分の定義に当てはめて考えた. 不連続性を示すのも簡単である.

|f(x)−f(π)|

は, xが無理数かつ|x−π|が小さくなれば, いくらでも小さくできるが, xが有理数かつ|x−π|が小さくなれば, 上の誤差は1より小さくならない. 

数学における記号の簡略化 加筆版

数学では, 話者や読者の論理に高い厳密性が問われる. しかし, 数学において, 話者または読者の少なくとも一方がそれを破り, 表現を見やすく伝わりやすくすることがある.

例えば https://mathlog.info/articles/3433でも私がしたように, 関数を, 純粋な意味での集合から集合への写像f:A→Bとするのではなく, Aの任意の元xにBの元yが対応するときのy=f(x)と書かれる対応において, 対応fと従属変数yを同一視して, 関数をy=y(x)とすることである. 確かに正確ではないが, 具体例を扱うときや具体例に沿った論理展開をするときは便利であり, しかも厳密性は問題にならない. リンク先にあるように微分方程式の解法は厳密性を犠牲にしなければ説明しにくい.

また, 多様体の接空間においても, 接ベクトルとベクトル場を同じ記号で書くことがある. 例えば2次元多様体Mの点pにおける接空間(T_p)(M)は局所座標を(x, y)とするとき2つの接ベクトルから成る基底

{(∂/∂x)_p, (∂/∂y)_p}

を持つが, ここでも右下の添え字pを取って基底を

{∂/∂x, ∂/∂y}

と書くことがある. 余接空間(T_p)*(M)についても同様に, 基底を

{(dx)_p, (dy)_p}

と書く代わりに

{dx, dy}

と書くことがある. もちろんこれらはベクトル場や微分形式の正確な定義を既知とした上での表現である.

また, リーマン計量gを内積gということもある. これはリーマン計量gが各点q∈Mで定める内積g_qとgを意図的に混同しているのだが, これは突き詰めて言えば最初の例である.

微分幾何において多様体の接空間やリーマン計量は多様体それ自体と同じくらいよく出てくるのでそれに関する式もたくさん出てくるし, 高次元になればそれだけ右下の添え字pがたくさん必要だが, 後者の書き方をすると式が簡単になるのである. 例えば「2次元リーマン多様体Mの余接空間(T_p)*(M)にMのリーマン計量gから定まる内積をg'と書く」とあれば, これについて, Mの各点qに対して

(g'_q)((dx)_q, (dy)_q)

=(g_q)((∂/∂x)_q, (∂/∂y)_q)

という式を

g'(dx, dy)=g(∂/∂x, ∂/∂y)

と簡単に書ける上に本質が見やすい. (なお, 普通g'もgと書く. )

代数学では, 環RをそのイデアルIで割った商環

R/I

を考えることが多々ある. そこではRの加法単位元0のみから成るイデアル{0}を0と書く. これは

R/{0}=R

と同一視するからである. R/{0}の元はa∈Rを用いて{a}と表されるから(aとの差が0のRの元はaのみであるから[a]={a}である), もしこのように同一視しなければ, {a}とaは異なるから, 和と積を

{a}+{b}={a+b}

{a}{b}={ab}

と定義し直さないといけない. これは不便である. 加群と部分加群と剰余加群についても同様である.

 
数学の初学者には悩ましい習慣かもしれないが, 使い慣れたら便利である. それ以上の深い意味はないが…

私のナビエ-ストークス方程式の話について

つらい. これほどつらいことが, 失恋の連続やいじめの連続よりつらいことが, 今まであったことはない.

私は偏微分方程式が好きだ. かつてそちら方面の数学にしか興味がなかった.

とりあえず高校数学や微分積分線型代数という基礎中の基礎を初歩くらいは学んだので, 微分方程式複素関数や集合•位相やルベーグ積分を学んでいた16歳の頃。夏休みに冷房の効いた部屋に引きこもり, ずっと猪狩氏の「実解析入門」と新井氏の「ルベーグ積分講義」を読んでいたのを思い出す. リーマン予想を知っていたのでそれを解こうとしていたが, そちら方面の数学はどうも難しく, また当時の自分の好みに合わなかった. ルベーグ積分が大好きになったので, それを生かせる未解決問題はないかとミレニアム懸賞問題を調べたら, あった.

 

「ナビエ-ストークス方程式の解の存在と滑らかさ」

 

これは, 或る連立偏微分方程式の解についての未解決問題である. その理論にはルベーグ積分が道具として使われる. これだ!と思い, それを解くための数学に傾斜した. やがて実解析, 関数解析, それらの応用で理解できる偏微分方程式論を必死に学んでいた.

なんだかんだ, それから何年も経った. 自殺未遂を繰り返したり, 自殺する場所を探したり, 奇抜な行動を繰り返したり, 体も心も壊しながらも, 数学だけは続けていた. 今までずっと, ナビエ-ストークス方程式の数学だけではないが, ナビエ-ストークス方程式が頭から離れることはなかった. なんだかんだ, 研究をしていた. 自分の方法で超関数の意味での解の存在が示せないかと. 最初は物理学的直観を交えてそれを示した. しかし見直したらおかしいことを書いている気がして取り下げた. それでも熱意は冷めずたまに考えていた.

そして2022年2月5日, 数学的に考えた結果をツイートをしたら, 数学界隈以外では普通に拡散して7000くらいはいいねされた気がするが, 600くらいは引用リツイートがあった気がする. 数学界隈では炎上していた. 思い出したり今更掘り返されてまた何か言われるのは苦しいから, そのツイートは消してしまった.

私のフォロワーは数学が専門の人だけではなく, 理系でも数学は専門外だとか, そもそも理系でない人とか, 特に学問と深い関わりのない人もたくさんいる. そういう人たちのためにも,「解の存在を示した」という意味で「ナビエ-ストークス方程式を解いた」と言った. これは数学で実際に言われる表現である.「ナビエ-ストークス方程式を解いた」と「ミレニアム懸賞問題を解いた」には明らかな差があるだろう. しかしそれが「ミレニアム懸賞問題を解いた」と誤解され, なぜか誹謗中傷, 嫌がらせ, 攻撃が絶えなかった. 私は「ミレニアム懸賞問題を解いた」とは

 

一言も言っていない.

 

もちろん誤解されるような言い方は悪かったかもしれない. また数学的には誤りが多かった. しかしそれらは罪ではなく, 誰も傷つけていないし, ただ単純に, うつ状態になりながらもがんばったことをツイートしたくらいの話だし, ましてや叩かれるべき悪事ではない. そもそもツイートの文章だけは誰にでもわかるようにした配慮である. またリプ欄でもそのことを言ったがなぜか炎上が止まらなかった. なぜかきちんとした指摘は2件だけで, 数学界隈の過激派たちには, またもや人格を否定されたのである.

数学の勘違いは誰にでもある. それを叩くのは数学界隈の衰退と縮小, そしてやがて消滅につながる.

私はそれ以前から, このブログやAmazonレビューには誤りがあると自分で気づき次第, 自分で訂正していた. また指摘にも, きつい言い方さえされなければ対応していた. それを知らない癖に私について偉そうに語るなど, ∞年早いのではないか. 私が以前から精神的に病んでいるからと自殺に追い込むのは理性のある人間のすることではない.

私は数学をやめようか, 研究をやめようか悩んだ. 酒を飲みまくった. しかし数学は大好きだからやめていないし研究は続けている.

https://mathlog.info/articles/3433

当時の誤りは, ほぼ訂正した. 最近, 閲覧数が伸び悩んでいるのは, 投稿してから毎日のように訂正していたから信用を失ったからだろうか.

数学で間違いを言ってしまったことは数学が大好きな私自身が一番つらいし, 信用を失ってしまったかもしれないのもつらい.

 

しかし勘違いしない人はいない. そのことは数学界隈の過激派にもわかってもらいたい. 自分が自分の間違いを叩かれたら嫌ではないのか?

ディリクレ関数について

最近有理数無理数の話をしたので以前から語りたかった関数を紹介する.


そもそも集合Aから集合Bへの関数とは, Aの任意の要素をBの或るひとつの要素に対応させる物なので次のような関数も考えられる.


関数 f:R→{0, 1}

f(x)1 (x有理数のとき)

f(x)0 (x無理数のとき)

と定義する. fはディリクレ関数と呼ばれる.


fのグラフは描けない任意の有理数に対してそれにいくらでも近い無理数が存在し同時に任意の無理数に対してそれにいくらでも近い有理数が存在するからであるつまりfは至る所で(定義域全体で)グラフが不連続な関数であるしかし「殆んど至る所で0」であるから描くとしたらほぼx軸みたいになるだろう.


集合Sの殆んど至る所でpであるとは或る零集合(空集合とは限らない)Nが存在して, SからNを取り除いた差集合S−Nの全ての要素に対してpが成り立つことを言う零集合は, S上の測度μについてμ(N)0となるNとして定義される測度とは集合の要素の個数長さ面積体積表面積曲線の長さ確率を抽象化または一般化した物である今はSR, μR上のルベーグ測度である.


関数fは「殆んど至る所で0」だから殆んど至る所で連続関数としての定数関数0に等しいしかしfは至る所で不連続である「殆んど至る所で連続である」と「殆んど至る所で連続関数に等しい」は同値ではない.


fは定義域を有界区間例えば[0, 1]に制限すると上積分と下積分が考えられるが積分1, 積分0であるからリーマン積分可能ではない区間での上限が1, 下限が0だならである一方ルベーグ積分は可能でその積分値は0であるそれはμルベーグ測度とするとき, μ(Q)0により

∫_[0, 1] f dμ

1×μ([0, 1]Q) + 0×μ([0, 1]−Q)

1×0 + 0×1

0

一般に,「殆んど至る所で0」の(可測)関数のルベーグ積分の値は完全に0に等しい.


fは全ての有理数を周期とする周期関数でもあるそれは任意の有理数qに対して, x有理数ならばx+q有理数, x無理数ならばx+q無理数だから

f(x+q)f(x)

Rの各点xで成り立つからである.


最後に, fは至る所で不連続ながらも連続関数列の二重極限で表されることを述べよう.

(g_(m, n))(x)(cos(m!πx))^2n

とすると関数g_(m, n):R→[0, 1]は連続であるしかし,

lim_(m→∞) lim_(n→∞) g_(m, n)

は不連続でありディリクレ関数fに等しいこれは, x有理数 p/q のとき例えばm>|q|とすればm!πxπの整数倍になり, cosでそれを写せば±1となりそれを2n乗すれば1であり一方x無理数ならばどのようなmを取ってもm!πxπの整数倍にならずその時は

| cos(m!πx) | < 1

であるから, cos(m!πx)2n乗の極限は0になるからである.


このような関数もあることを知って頂きたくてまた語らせて頂いた.


ちなみにルベーグ積分を学ぶと解析的整数論や表現論という解析学以外の分野でもかなりの恩恵があるようである.

√2は実数か?

√2はもしかしたら虚数かもしれないという話ではなく, そもそも実数として存在するのかという話である.

「√2は無理数である」は冗長には「√2は実数であり, 特に√2は無理数である」と言える. √2が無理数であることが正しいのは, √2が実数だからである. では√2は本当に実数なのだろうか?

高校数学では, 有理数が, 有限小数か循環節のある無限小数であることに言及した上で, 無理数を循環しない無限小数であることを定理または定義として述べる. (多くは定理とするようである. 復習:
https://pdem.hatenadiary.com/entry/2022/07/15/231042 . ) そして無理数の典型例として√2や√3やπを挙げる. しかし, そもそもこれらは実数として存在するのだろうか.

aが正の実数であるとき√aが実数として存在することは, 私が知る限り高校数学ではこの証明がある.

xの関数f(x)を
f(x)=x^2 − a (0≦x≦a+1)
と定義すると, 
f(0)=−a<0,
f(a+1)=(a+1)^2 − a =a^2 +a +1>0
かつxy平面上でy=f(x)のグラフは下に凸の放物線の一部だから, このグラフはx軸を1回だけ横切る. その点のx座標は, 方程式
f(x)=0 (0<x<a+1)
の解, すなわち
x^2 − a =0 (0<x<a+1)
の解だから√aである, だから√aは存在する, という物である. (ここで, 0<a<1だと, a^2はaより小さくなる(例えばa=0.1ならa^2 =0.01)から, f(x)の定義域を工夫した. )

高校数学の範囲ではこれで充分であろう. しかしグラフによる議論は, 数学的には厳密ではない. 厳密にするには数学ⅠAの範囲を超えて数学Ⅲの中間値の定理が必要だが, 中間値の定理は高校数学における不備のある実数の定義では証明ができない(※). 私の個人的感想に過ぎないが, 私はそこが納得できない. ゆえに普通の厳密な数学の立場から論じたい.

以前, 実数の公理的定義を紹介した
(https://pdem.hatenadiary.com/entry/2021/08/01/170805). (公理的定義を満たす集合Rの構成は例えば有理数全体の集合Qの完備化がある). そこでは連続性公理だけはきちんと書かなかった. 今回はそれを説明しようと思う. それを使えば√2が実数であることの証明の流れはすぐにわかる.

実数全体の集合を上の記事に合わせてRとする. 空集合でない部分集合A⊂Rの上界とは, 
∀x∈A, x≦a
が成り立つa∈Rのことである. 上界を持つ集合Aは上に有界であるという. Aに上界があるとは, 直観的に言うと, Rを数直線と同一視した時, Aの「右方向の限界」がRの中にあることである. aがAの上界ならばb≧aとなるbも∀x∈A, x≦bを満たすからAの上界である. Aの上界のうち最小の物, すなわち
∀x∈A, x≦a 
かつ ∀b∈R, b<a ⇒ ∃x∈A, b<x (すなわちx>b)
となるaをAの上限(supremum)と言いsup(A)で表す. ふたつ目の条件はaより小さな実数bはAの上界ではないという意味である. (aがAの最小の上界であればaより小さなAの上界は存在しないので. ) 直観的に言うとAにsup(A)が存在することはAに「右端の点」があることである. ただ, 右端がAに属しても属さなくてもよい. 

実数の連続性公理は, 上に有界空集合でないRの部分集合Aにはsup(A)が存在する, という物である(か, もしくはこれと同値な命題である).

例えば有理数から成る数直線Qの部分集合
{ x∈Q | 0<x^2≦2}
には上限は存在しない.「√2が切れ目」だからである.

もしsup(A)が存在すれば, それは一意的である. それは, 実数a, bが両方ともsup(A)に等しければ, Rは全順序集合だから, a≠bとすると
a<b
または
b<a
が成り立つが, a<bならば上限の定義のふたつ目の条件によりa<x∈Aとなるxが存在し, x≦aではないならaがAの上界であることに反する. ゆえにa=sup(A)であることに反する. b<aでも上限の定義のふたつ目の条件によりb<x∈Aとなるxが存在し, x≦bではないからbがAの上界であることに反し, ゆえにb=sup(A)に反する. したがってAにsup(A)が存在すればsup(A)は一意的である.

ここまで準備ができればもう√2の厳密な存在証明は次の流れにより行える.
「Rの空集合でない部分集合が上に有界ならばその上限が一意的に存在する. ゆえに
a=sup({ x∈R | x>0, x^2≦2})
とするとaは√2の定義に従う:
a∈Rかつa>0かつa^2 =2,
すなわち
√2=sup({ x∈R | x>0, x^2≦2}) となることが知られている. 」

sup({ x∈R | x>0, x^2≦2}) は
sup({ x∈R | x>0, x^2<2})としてもよい. )

※ 実数の連続性公理を, 上限の存在ではなく中間値の定理とすることができる. これらは同値だからである. すると, √aの存在証明も厳密に言い直せる. しかし解析学の論理展開として, 中間値の定理を実数の連続性公理とするのは, 数学的には正しいが, 初学者には奇抜な印象を与えるであろう. 

実数は実在するのか

この記事は, 以前公開していた高校数学の論理的問題点に関する記事を取り下げたのと, その後に考えたことがあるから書いた.


数とは何か. これは難しい問である. まず, ありきたりの説明を少し改良してみよう.


自然数とは, 

1, 2, 3, 4, 5, …

のような, 1にどんどん1を足して得られる数である(自然数を0から始めることもある. 

https://pdem.hatenadiary.com/entry/2021/06/09/192338).

整数とは,

−3, −2, −1, 0, 1, 2, 3, …

のような, 自然数に負号を付けた物たちと0のことである(注意:引き算のマイナスと負号のマイナスは意味が違う. また, −(−a)=aだからと, 負数×負数が正数になる訳ではない.

https://pdem.hatenadiary.com/entry/2022/04/25/165427).

有理数とは,

−(5/3)=(−5)/3=5/(−3), 355/113, 29=29/1, 0=0/2

など, pを整数, qを0でない整数として

p/q

と表される数である. ちなみに電卓でもわかるように, 355/113=3.141592である.

実数とは, 数直線(後述)の上の点として表される数である. 実数のうち無理数とは有理数でない物である. 例えば

√2, −√5, π, 3+√7, π−3, √π

がある. π−3はπの小数部分, √πは解析学で良く出るガウス積分の値である.


有理数は, 小数で表すと, 小数点以下同じ数の並びが無限に繰り返されるか, どこかで止まる. 例えば

1/9=0.111111…, 5/4=1.25 .

無理数は小数で表そうとすると, 小数点以下無限にかつ不規則に数字が並び, 原理的に書き切れない. 例えば,

√2=1.41421356237… ,

e=2.7182818284590452353602874… ,

π=3.1415926535897932384626433…

のように. ちなみにe+πやeπが無理数かは未解決である.

つまり, 有理数無理数を, 小数点以下の数字の並びに着目して定義することもできそうである.

しかし, よく考えてほしい. そもそも「数」が未定義なのである. だから, よく「実数は実在するけど虚数は実在しない」と言われるが,「数」さえ何らかの意味で定義してしまえば, これらは少なくとも多少は論理的に安全になるのである. そして今は「数」とは結局, この場では複素数とするのがいいだろう(こちらの記事も参照されたい: https://pdem.hatenadiary.com/entry/36940024 ). もちろん, 実数の厳密な定義と構成をした上での話である.


自然数ですら抽象的な概念である. なぜなら, 

1個, 2個, 3個, …

1回, 2回, 3回, …

1円, 2円, 3円, …

と,

1, 2, 3, …

の間には, 抽象度の壁がある. 知的障害や学習障害を抱えた方々には, お金の計算はできるが普通の足し算ができない, ということがあるらしい. それほど高い壁になってしまっている(こちらも参照:https://pdem.hatenadiary.com/entry/2021/08/01/170805 ).


しかし, 抽象的な概念でも理解してしまえば, 普通の人はなんの不自由もなく使いこなせている.


負の整数や0も, 有理数も, 無理数も, 例えば負債とか気温とか, 割合とか, 計測とかで使われている, 概念である. 例えば, 1辺の長さがaの正方形の対角線の長さの二乗は三平方の定理より

a^2 + a^2 =2 a^2

だから対角線の長さは(√2)aで, aが√2の有理数倍でないときは無理数である.


しかしa=1としてみても, 実際に, 1cmぴったりの長さを作図するのは無理だから, √2cmというのも実在しないのである. 全ての物質は素粒子からできている. それが集まって原子を成し, 原子が分子を成して, 分子が物資として存在している. そこに実数のような連続性はなく, つぶつぶが離散的に, たくさんの隙間を作っている. 


数直線とは, 直線上に原点Oを定め, Oには0を対応させ, 基準点Eには1を対応させ, 正の実数aにはOEの長さのa倍の点AをOからEに向かう向きに(つまりaOE=OAとなるように), 負の実数 −b にはOEの長さのb倍の点Bを, OからEに向かう逆向きに(つまり −bOE=OBとなるように)対応させた物である. しかしながら, 任意に小数を作った時(例えば1.234567891011… とか, −10.100100010000… とか)に, それに対応する実数(或いは点)が実数全体の集合の中に(数直線上に)存在するか, 問題が生じる. これを教育現場ではごまかしている.


数学は概念で構成されている. だから理論上矛盾なく実在すればいい. 虚数は実在しないというなら, それが虚数という概念が存在しないということなら, 実数も実在しないのである. そして残念ながら直線は実在せず, 作ろうとしても有限の長さだし隙間だらけなのである. しかし実際には, 2つの実数a<bに対して例えば

a<(a+b)/2<b (任意の2点間に必ず中点がある)

であるように, 隙間にも実数が存在しうるのである.


実数も虚数も実在する. 数学の理論上矛盾なく定義され構成されている. なんなら, 虚数も, 現実世界に反映する工学や量子力学には必須である. 工学ではオイラーの公式が, 量子力学ではシュレディンガー方程式が, 最も簡単な実数でない複素数である虚数単位iを含む. 確かに, 実数の二乗は0以上の実数, ではあるが, それが複素数のi^2=−1と矛盾する訳ではあるまい. iは複素数だが実数ではないのだから.